数ヵ月後には
2002年7月4日社会人の仲間入り。オファーレターを貰ってから今日に至るまでの月日の流れは正に「光陰矢の如し」。最後に書いた日記からほぼ5ヶ月が経過。この間に内定先でのアルバイト3ヵ月半、ロンドン大学LSEへの夏季留学(会計学専攻)、USCPAの勉強などと自らを鼓舞するようなイベントが目白押しであったことに変わりは無い。今月中ごろからは米国西海岸の叔母の家にて静養をかねて10日ほど滞在予定である。
秋も深まり冬とも居得る11月中下旬には前述の悪友I君と太平洋上に浮かぶ島へバカンスに行く予定。これは是非実行したい。何せ彼の地には1年半ほど行ってないもので…。
さて、今日は某HPのコラムに触発されたことに伴って、海外で学習することについて考えてみたいと思う。所謂「留学」というやつ。
僕の中で「留学」の定義というのは、諸外国において己の学習意欲・知的好奇心を日本で学ぶ以上に発揮し、又それに見合うだけのリターンを自身の中で充足することにあるのではないかと考える。決して最近増えているような「遊学」ではない。
先日LSEでのサマースクールを終えて帰国したわけだが、改めて欧米トップ校で学ぶ魅力、苦労、達成感、充実感そして自己満足を感じた。高校時代にもスコットランド、ロンドンのパブリックスクールのサマースクールへ各一度ずつ参加しているが、大学生になり多くの知識を蓄え且つ将来に対する明確な目標や専門分野に対する知的探究心を併せ持った現在の自分はより深い部分の英国を知ったと言っても過言ではないと思う。当然、学習やビジネスで数年、数十年を費やした方々に比べれば足元にも及ばない充足感かもしれないが、個人的には「留学」の一端を知れたような気がした。
僕は兎に角、好奇心に溢れ、究極的知的探究心を持ち合わせ、それらに加えて欧米の人間と対等に勝負したい・できると心底思っている人間には是非世界へ飛び出して言って欲しいと思う。自身が日本人如いてはアジア人であるという自負を必ずや見つけることができるだろう。それは寧ろ自覚せざるを得ないといった方が適切かもしれない。僕自身、諸外国において差別されたことは無いし、考え得る限りにおいては差別したことも無い。今回のLSEそして前年のUCSDにおいても大変多くの優秀な、長く付き合える友人に恵まれた。その理由は、自らを褒め称えるわけではないが、自身がある程度consolidateされた意見を持ち且つ凛とした態度でカウンターパートに接してきたからなのではないかと思う。自己が無い人間はやはり疎まれる。ヒトとしてツマラナイモノは排除されるのである。欧米人からも一目置かれるにはやはりその専門分野でしっかりとした成果を見せ、自らの主張を理路整然と語ることができ、コミュニケーション能力に優れ、そしてそれを補うに最低限の語学力(語学は手段であり決してフルエントである必要性は無いと思うが、流暢な方が断然良い。ネイティブ以外が上手く喋るとやはり一目置かれる。特にアジア人が上手く英語を喋ると相手のちょっと驚いたようなリアクションを垣間見ることができます。残念ながら下手な人はそれなりのレベルだと見なされてしまいます…)が必要不可欠である。こんなことを書いていると自分にもやはりまだ多少の欧米人コンプレックスがあるのかな、などと感じたりする。難しいねー。
んー、まだかなり酔っ払っているので余り纏まった文章展開ができていないなー。勢いで書いている節がある。いかんいかん。でも消すのももったいないから、そのままにしよう。
人それぞれ学ぶのに適した地があると思う。それは日本であり外国であるかもしれない。ただ、僕自身の感覚では、欧米で多くの民族からなる知的コミュニティーの中で切磋琢磨することが一番モティベイティブになれるのではないか、なんて考えてます。
語学留学に関するその虚無性に関してはまた次回。
秋も深まり冬とも居得る11月中下旬には前述の悪友I君と太平洋上に浮かぶ島へバカンスに行く予定。これは是非実行したい。何せ彼の地には1年半ほど行ってないもので…。
さて、今日は某HPのコラムに触発されたことに伴って、海外で学習することについて考えてみたいと思う。所謂「留学」というやつ。
僕の中で「留学」の定義というのは、諸外国において己の学習意欲・知的好奇心を日本で学ぶ以上に発揮し、又それに見合うだけのリターンを自身の中で充足することにあるのではないかと考える。決して最近増えているような「遊学」ではない。
先日LSEでのサマースクールを終えて帰国したわけだが、改めて欧米トップ校で学ぶ魅力、苦労、達成感、充実感そして自己満足を感じた。高校時代にもスコットランド、ロンドンのパブリックスクールのサマースクールへ各一度ずつ参加しているが、大学生になり多くの知識を蓄え且つ将来に対する明確な目標や専門分野に対する知的探究心を併せ持った現在の自分はより深い部分の英国を知ったと言っても過言ではないと思う。当然、学習やビジネスで数年、数十年を費やした方々に比べれば足元にも及ばない充足感かもしれないが、個人的には「留学」の一端を知れたような気がした。
僕は兎に角、好奇心に溢れ、究極的知的探究心を持ち合わせ、それらに加えて欧米の人間と対等に勝負したい・できると心底思っている人間には是非世界へ飛び出して言って欲しいと思う。自身が日本人如いてはアジア人であるという自負を必ずや見つけることができるだろう。それは寧ろ自覚せざるを得ないといった方が適切かもしれない。僕自身、諸外国において差別されたことは無いし、考え得る限りにおいては差別したことも無い。今回のLSEそして前年のUCSDにおいても大変多くの優秀な、長く付き合える友人に恵まれた。その理由は、自らを褒め称えるわけではないが、自身がある程度consolidateされた意見を持ち且つ凛とした態度でカウンターパートに接してきたからなのではないかと思う。自己が無い人間はやはり疎まれる。ヒトとしてツマラナイモノは排除されるのである。欧米人からも一目置かれるにはやはりその専門分野でしっかりとした成果を見せ、自らの主張を理路整然と語ることができ、コミュニケーション能力に優れ、そしてそれを補うに最低限の語学力(語学は手段であり決してフルエントである必要性は無いと思うが、流暢な方が断然良い。ネイティブ以外が上手く喋るとやはり一目置かれる。特にアジア人が上手く英語を喋ると相手のちょっと驚いたようなリアクションを垣間見ることができます。残念ながら下手な人はそれなりのレベルだと見なされてしまいます…)が必要不可欠である。こんなことを書いていると自分にもやはりまだ多少の欧米人コンプレックスがあるのかな、などと感じたりする。難しいねー。
んー、まだかなり酔っ払っているので余り纏まった文章展開ができていないなー。勢いで書いている節がある。いかんいかん。でも消すのももったいないから、そのままにしよう。
人それぞれ学ぶのに適した地があると思う。それは日本であり外国であるかもしれない。ただ、僕自身の感覚では、欧米で多くの民族からなる知的コミュニティーの中で切磋琢磨することが一番モティベイティブになれるのではないか、なんて考えてます。
語学留学に関するその虚無性に関してはまた次回。
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